タイトーの回し者、遂にタイトーの社史を読む

ごきげんよう紫乃です。

タイトル通り、神奈川県立川崎図書館にてタイトーの社史を読んできました

 

KOTRTAに参加させていただいた頃からずっと読みたいと思っていたのですが、諸事情でなかなか行けず、1年以上経った先日ようやく読めました。

今回は、この社史について語ります。でも内容についてはほとんど触れないので、実際に読みたい人は神奈川県立川崎図書館に行きましょう

 

ちなみに。

タイトーは前株だ二度と間違えるな。

 

神奈川県立川崎図書館とは

タイトーの社史が置いてある神奈川県立川崎図書館は、「ものづくり情報ライブラリー」というキャッチコピーが付いている通り、科学技術に関する資料が多く集められています。

その一環で約2万冊の社史を所蔵していて、全国でも有数の蔵書を求めて県外からも研究に訪れる人がいるそうです。

www.klnet.pref.kanagawa.jp

 

実際に訪れると、図書館の一角が社史のコーナーになっていて、まさに圧巻の一言でした。

一見するとただの本棚なのですが、よく見ると「○十年のあゆみ」というタイトルがついているものだらけで、大量の「○十年のあゆみ」に囲まれながらタイトーの社史を読んできました

 

神奈川県立川崎図書館の最寄り駅はJRの武蔵溝ノ口駅と東急の溝の口駅で、駅から無料のシャトルバスが出ています。

皆さんの好きなゲームを作っている会社の社史もあるかもしれないので、気になる人は神奈川県立図書館のOPACで検索してみてはいかがでしょうか。

読んだ感想

さて、冒頭でも述べましたとおり、社史の内容についてはこの記事ではほとんど触れません。代わりに、原稿用紙7枚分の感想文を書いてきたので、それを掲載します。

気になった人は自力で溝の口まで行ってください。

感想文

「記された四十年のあゆみ、まだ記されていない二十八年のあゆみ」
Shino.(紫乃

 現在刊行されている株式会社タイトー(以下、「タイトー」と表記)の社史は、今から28年前の1993年に作られたものである。今回手にしたタイトー社史の『遊びづくり四十年のあゆみ』には、1993年までの同社の歩みが詳細に記されているが、当然それ以降のことは記載されていない。2021年にこの本を手にする人々は、いわば未来人だ。この本に書かれていない28年のタイトーの歩みを、この本を手にする私たちは知っている。だからこそ、ただの社史以上の意味をこの本から読み取ることができるのだ。

 この本が書かれた1993年は、バブル経済の崩壊後に訪れた平成不況の真っ只中だった。しかし、景気の底は脱したと見え、回復傾向にあると考える人が多くいたこともあり、この本でも今後の景気には楽観的な見方がされている。この時代を生きていた人たちは、1990年代が「失われた10年」と呼ばれるほどの長い経済低迷期になることを知らないし、2000年代のリーマンショックも2020年のコロナショックも知らない。

 加えて、1993年はタイトー東証二部上場を果たした年でもあり、この本にも東証二部上場を祝う言葉が見られる。設立35周年からの5年間で売上高を倍近くに伸ばすなど、スペースインベーダーのブームが去っても、当時のタイトーアミューズメント業界を牽引する存在であったことは間違いない。積み重ねてきた過去と、これから切り開くであろう未来に対する揺るぎない自信が、この本からは伝わってくる。

 しかし、2021年を生きる私たちは、タイトーがその後どんな28年間を歩んできたかを知っている。スクウェア・エニックスの子会社となり、東証一部上場が廃止されること。50年以上の歴史があった会社の法人格が消滅すること。家庭用ゲームソフトの開発・販売から撤退すること。2,000人もいた社員が750人まで減ること。28年の歩みを知らない当事者を目の前にした時、私は得も言われぬ切なさを感じた。

 この社史を編集した人たちは、どんな気持ちでこの28年間を見つめてきたのだろうか。ある人はまだ会社に在籍しているかもしれない。ある人は会社を去ったかもしれない。いずれにせよ、自分たちが積み重ねてきたものが失われた時の悲しみは、当事者にしか分からないものであろう。

 とはいえ、タイトーが歩んできたこの68年の価値は、それだけの理由で失われるものではない。スクウェア・エニックスの子会社になっても社名が残り、今なお多くのアミューズメント店舗を経営し、家庭用ゲームソフトの開発・販売などの事業を手掛けているのは、68年の歩みがあってこそである。この本には40年分しか記されていないが、私たちはこの28年間、タイトーがいかに多くの価値を生み出し、多くの人を楽しませてきたかを知っている。今のタイトーがあるのは68年の歩みがあってこそだと、社史を読んで実感した。

 この社史を読んで、特に印象に残った点が2つある。1つは、タイトーアミューズメント業界でトップの地位を確立した理由に関しての記述だ。世界初のビデオゲームである「ポン」が世に出る前、まだタイトーがジュークボックスを主に扱っていた時代の話と推測されるが、がむしゃらに働く社員の姿が記述されている。それらは全て、現在であれば労働基準法に違反しており、手放しで褒められるものではない。いくら本人たちに情熱があったとしても、心身共に負担が大きかったであろう。しかし、彼らの献身があったからこそ、今のタイトーがあるのは間違いない。身を粉にして太東貿易株式会社に尽くした彼らがいたからこそ、私たちは今タイトーの作ったゲームで遊ぶことができている。先人たちへの敬意と感謝を持ってゲームに向き合いたいと感じた。

 印象に残った点のもう1つは、創業者であるミハイル・コーガンの人となりである。この本を読むまで、私はコーガンについてほとんど何も知らず、知っていることといえば、ユダヤ人であることと留学のために日本に来ていたことくらいだった。この本には、コーガンが太東貿易株式会社を設立するに至る経緯や、彼の好きなものや人となりまで詳しく記されていて、それらは初めて知るものばかりだった。

 興味深いのは、コーガンの考え方がそのまま経営に反映されていることである。企業の経営方針に社長の考え方が反映されるのは当然のことだが、コーガンの考え方を知ると、当時のタイトーがなぜあのような行動を取ったのかが分かり、合点がいく。たとえば、ゲームのプログラミングに著作権があるとの認識がなかった時代、タイトーはなぜスペースインベーダーを無断コピーした企業を訴えたのか。理由は複数あっただろうが、その中の1つが「コーガンが自分にも他人にも厳しい人で、ルールを守らない日本人への不信感を抱きながら事業を続けてきたから」だと推測できる。これ以外にも、タイトーはルールを守らない他社へ抗議したとの記述があり、時には警察に出向いて不当な処遇について訴えたこともあったそうだ。アミューズメント業界トップのタイトーが、悪いものを悪いと言い、自社だけでなく他社まで正すという姿勢だったからこそ、アミューズメント業界は今でもクリーンな状態が保たれているということが伝わってきた。自分の愛する企業が律儀で堅実な経営を続けてきたことを誇りに思う。

 タイトーの前身である太東貿易株式会社は、もともとウォッカの製造・販売から始まった。一見するとアミューズメントには全く関係がないが、そこで得られたバーや喫茶店との関わりが、現在のタイトーに繋がっている。一見無関係に見えるものでも、意味が全くないものは存在しないのだと感じた。自分の好きなゲームがある人には、そのゲームを作った会社の社史があればぜひ読んでもらいたいと思う。企業が歩んできた歴史を知れば、今遊んでいるゲームがより面白くなるはずだ。

おわりに

締めなきゃなって思って章を作ったけど、言いたいことは全部感想文に書いちゃって書くことがないので、バブルンのかわいい縄跳び動画を貼っておきます。

www.youtube.com